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イクメンと呼ばれる違和感が自分の父親像にあったことに気がついた件

5年前に長男が生まれてからイクメンと呼ばれるようになりました。

そう呼ばれた時、悪口ではないのでわざわざ否定することもなく過ごしています。

そう呼ばれるたびに違和感を感じるのは初めて呼ばれた時からです。

私の父はイクメンではなかったでしょう。育児に関するほとんどのことは母がやっていました。自分が親になった今、父と母の印象は、二人ともとてもよく働いていたということ、父は時々遊んでくれたり工作を手伝ってくれたりしたということ、母は常に自分より家族を優先してそれはもう献身的だったということ、そして二人はお互いの役割分担がよくできていて、尊重しあっていたということです。大人になって色々な家庭の話を聞いて初めて、恵まれた家庭で育ったと気づきます。

私は料理が好きで、子供が好きです。それは性格のようなものであり、単に好きだから好きなだけです。それが好きではない人もいるでしょう。私は掃除も洗濯もそれほど好きではありません。DIYや実験なんかも好きなので、時々やります。電気関係も仕事にしてるぐらいなので得意です。この性格は生活力という面ではかなり有利な方です。初めて一人暮らしした時もあまり困りませんでした。

私の友人にはイクメンとは呼ばれない人たちがいます。

料理が得意でなかったりする人たちです。子供は好きでないこともあれば、どう接していいのかわからないという人もいます。しかしその全員が一生懸命働いています。そしてその人たちに時々、私は父を重ねることがあります。

言葉はなんでもそうですが表裏があり、「イクメン」という言葉は「そうでない人」と表と裏の関係にあります。「イクメン」と「育児」という言葉はイメージの結びつきが強いです。反動の結果として、「そうでない人」と「育児」のイメージをより遠ざけるということになっているかもしれません。イクメンでない人は育児をしていないというイメージです。

「イクメンでない人」とはまさに父のことになるわけです。私は「父が(もちろん母もですが)育ててくれたという記憶」を持っています。暴力親父やダメな父、そもそも父親がいないなどの家庭の人もいますが、私の父は優しかったので、私にとって「育児する人」と「イクメンでないけどよく働く人」はイメージとして同質なものなのです。同じものと言ってもいいぐらいです。

先日、横浜パパ会の主催者としてある方とお話しさせていただいた時のことです。確か私が育児をしていることを褒めてくださった時にとっさに出た言葉だったと記憶しています。

「世のお父さんたちは一生懸命働いています。それで十分だと思います。私はたまたま料理も子供の世話もしますが、それは好きだからです。要は得意分野が何かということで、夫婦が良しとしているのであれば、誰がおもつ替えをしても子供にとっては一向に構わないわけで、家族がそれで成り立っていればそれで良いと思ってます。だから私はそっちが得意じゃなくても一生懸命働いているお父さんたちだって十分にイクメンだと思っています。」

せっかく褒めてくださったのにと反省もありますが、言葉を発すると、自分がどう思っていたかということに気がつくということがあります。ずっと感じていた違和感は、父のことを「育児しない人」と言われていると、そう思っていたからだと。

伝統的な女性観と男性観のせいで苦しむ人もいるので、頭を柔軟にしなければ人を傷つけることになります。「イクメン」という言葉は強い言葉です。ガツンともの申す力があります。おかげさまで、「男が台所に入るな」と言われる時代であれば、料理が好きなどと言い辛かったでしょうが、Facebookに料理した画像を堂々と投稿でき、「いいね」もたくさんという世の中になりました。

一方でメディアで家事育児をする男性や、バリバリ働く女性の話題が取り上げられた時に、主婦を頑張っている人たちや、家事育児は得意でないけどよく働いているお父さんたちが、否定されていると感じることがあるかもしれません。私が横浜パパ会をやっていることすら、負い目に感じるお父さんがいるくらいです。しかし、自分が好きなこと、得意なこと、夫婦で良しとしていることをやっているのであれば、立派なことでして、社会が否定するようなことではありません。

あとは夫婦間の尊敬と感謝の話です。ここが難しいんですけどね。

ジェンダー関係なく、どのような生き方が良いか、たくさんの選択肢が社会的にも用意されている。そういう時代になったといえるでしょう。その良い面だけが残るよう、言葉に含まれる否定的な意味合いが薄れていって、多様な考えが多様な考えの人に許容されるといいなと思っています。